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啓明舎の中学高校部

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『学ぶ』こと
  『成長する』こと
    そして『受験を勝ち抜く』こと…

中学入試は「必要悪」なのか!?
「学ぶ」ことと、人間的に成長することと、受験を勝ち抜くことのあいだに、予定調和的な関係はありません。人間的な成長を自己との関係・他者との関係・世界との関係の漸次的な組替えの過程であるとすれば、狭義の「学習」は専ら世界との関係の知的な側面に係わるものです。そして受験勉強は、その中でもごく限られた分野に関する、ごく限られた形式の「学び」であり、それが中学入学以後も大きな財産になるなどというのは塾業者が振りまいた幻想に過ぎません。また受験勉強が人間的な成長を著しく阻害する可能性があることは、幾つかの酷たらしい事件からも明らかでしょう。にもかかわらず、現在の首都圏の公立中高及び高校入試の現状を鑑みるに、中学受験という選択は決して間違ってはいない、むしろ当然の選択であると我々は考えています。では中学入試は一種の「必要悪」であり、止むを得ず、できるだけ弊害の生じないように取り組むべきものということになるのでしょうか。
苦労があるからこそ、得るものに意味がある。 我々は中学入試の意義を、もっとポジティヴに、もっと真摯に捉えています。確かに受験勉強は「学び」の、そして人間的な成長の、無数の可能性の中のたった一つの選択にすぎません。その選択をすることで失うものも大きいでしょう。例えば、中学受験を勝ち抜くためには人よりも少し早く「オトナ」にし、親から自立させることが必要である、これは以前から繰り返し述べてきた我々の持論です。それは必然的に「子どもらしい」感受性や天真爛漫さを損なうという副作用を伴っています。しかしそもそも「成長」とはそうした選択の連鎖であり、逆に失うものが大きいからこそ、真剣に全身全霊を込めて取り組むべきであり、またそこで得られた充実感と達成感、勝利の喜びや敗北の痛みが意味を持つのではないでしょうか。
受験以外のいかなる道を選択しても、それが成否に関わらず、苦痛をも伴った心地よい達成感を与えてくれるような係わり方をしなければ何の意味も持たない。つまり選択することの「重み」を実感できるような選択だけが、その選択を意義あるものとできるのです。
受験テクニックでは通用しない本質的学力が求められてきてる。 確かに「学び」と人間的な成長と受験勉強は相互に対立する要素を抱えています。しかし幸いなことに、国私立中学の真摯な努力にも支えられて、中学受験の世界そのものが大きく変貌を遂げてきました。つまり単なる詰め込みやテスト漬けの勉強ではなく、本来的な「学び」の姿勢、つまり自然と社会、数と言語に対する視座を大胆かつ繊細に検証し、拡大し、より高次のものへと高めていく開かれた姿勢と、自己を見つめる厳しい視線と、他者を他者として理解する感受性、その3つを兼ね備えなければ、合格が困難になってきているのです。同時に受験生とその両親が学校や塾や教師を評価し選択する眼差しもますます厳しく、鋭いものになってきました。この間、数多くの進学塾が消え去っていったのも、決して構造不況だけが原因ではなく、受験勉強の意義と弊害、それが子どもの成長の過程でもつ意味を正面から見据え、明確な指導理念と教務力と情報力を提示できる塾だけが生き残れる時代になったのだと我々は考えています。それが歓迎すべき事態であることは言うまでもありません。
真の充実感と達成感を共有できる関係の構築こそが私たちの最大の誇り。 三年間にも及ぶ塾通いが、単に「必要悪」である中学受験のための止むを得ない労苦であってよいはずはありません。勿論それが「志望校合格」を目標とするものであることは確かであり、その意味では「結果が全て」です。我々の第一目標もまた塾生全員を志望校に合格させることにあります。しかし同時に、受験勉強を経て何を得て何を失ったかを真に理解できるまでに子どもを成長させ、その上で本当の達成感や充実感を得られるような受験をさせなければ、どんなに「偏差値」の高い学校に合格しても何の意昧も持たないでしよう。
我々は、独自のカリキュラムを編成し、オリジナルの教材とテストを駆使して、どこにも真似のできないようなレベルの高い授業を行ってきたつもりです。「結果が全て」のこの世界で、「結果」だけでそのレベルの高さを納得させるだけの実績を上げてきたという自負もあります。しかし何よりも我々が誇りうるのは、中学受験が子どもの成長の過程で持つ意義を、ネガティヴなものも含めて真摯に捉え、その上で作り上げてきた子どもたち及びそのご両親との関係そのものであると思っています。その基本姿勢は啓明舎の看板を掲げる限り変わらないでしょう。中学受験指導という職業は、我々にとっても失うものの多い、多くの(?)可能性の中のたった一つの選択であり、だからこそ成功の喜びや失敗の痛みの中で真の充実感と達成感を獲得できるような係わり方をしたいと思っています。
陳腐な言い回しですが、我々にとって、本当の意味で「苦労を共にできる」子どもたちとご両親にめぐり合うことに勝る喜びはないのです。